「おかあさん、だぁいすき」
ろれつのままならない声が、たどたどしく言葉を紡ぐ。
それを耳にした瞬間の、彼の妻の反応は筆舌に尽くしがたい。
「―――――っ!!!!」
というか、実際に言葉にできないらしく悶絶していた。
きらきらと瞳を輝かせ、おかあさんもだいすきよ!!だとか、とかく叫びながらがばりと抱きつく光景を、これまで何度みたことか。彼らの息子が言葉をしゃべり始めてもう年単位で時間が経過しているというのに、飽きることなく繰り返されるやり取りにさしもの忍耐力をもつ彼もうんざりしていた。
「貴方もよく飽きませんね‥‥」
「だって!大好きなんだもの!」
そうですか。
と、旦那様は至って冷静にハイテンションなセリフを受け流すのが日常風景。おそらく息子の性格は母親に似たのではないだろうか、と言う彼の推察が正しいのならば、きっと、これからも繰り広げられるだろう日常風景なのである。いささか素直に過ぎる息子の性格を多少は諌めるべきかとも思いつつも、輪をかけたような手本がいる以上、それも難しいだろう。
そう、はかないため息をついて頭を抱えた指の隙間から見える、長男の髪を優しくなでつけ昼寝に寝かしつける仕草から見えるのは、間違いなく母親の慈愛だ。外見も言動も、どことなくいつまでたっても少女めいている彼女だが、それでも確かに母、という生き物なのだと、ふと思う。
「――――ルル」
「え?」
名前を呼んでから、はたと気づく。
きょとんと眼を丸くする妻の顔を見つめ、止まる。何を、いいかけたのだろうか、いま。わからない。
‥‥言葉を見失うけれど代わりに告げるべきことならば、幾らでもある。ため息まじりにまなじりを険しくすれば、つづきなど苦しくないこと。
「ルル、貴方もいい加減に、その子を甘やかすことはひかえてください」
「え!?わたし、甘やかしてる?」
「‥‥それで甘やかしていないと思える貴方に、正直驚きを隠せませんが」
「だって、」
がば、っと顔をあげてまっすぐ彼女の夫を見つめる。
甘い色の瞳にぐぐぐ、っと力を込めて、ついでにこぶしを握り締める。
「かわいいんだもの!!」
「そんなこと力説しないでください」
即座に入った厳しい指摘に、てへへと照れたように笑う。いやだから、褒めてないんですよ。と呆れた表情を作ると、さらさらととさざ波のような笑みが、柔らかくひびく。
「うーん、でも、そうね。少しだけ、はしゃいじゃってたかも。気を付けるわ」
「‥‥一人目の時にも同じような会話をした記憶があるのは、僕だけでしょうか?」
「だって、かわいいんだもの!!」
「‥‥」
反省は行方不明らしい。
そういうひとなのは、重々承知していたことではあるのだけれど。なんというか。
ふわふわと母親の形質を継いだこどもの黒髪をなでる。まどろむように浮かべられる彼女の微笑みは、いつだって、大好きだと訴える。好きだ好きだと惜しみなく与えられる。それは、こどもたちにはもちろんで、けれど、それだけではなく。
「ちょっとだけ、嬉しくなっちゃうのかも。」
「何が、ですか」
「エストの子供のころと、一緒にいられるみたいで」
ふたりとも、エストに似ているところ、たくさんあるんだもの。
思わず、瞳をまたたいた。
確かに。成長するにつれて彼らのこどもは露骨に父親に似ている部分が発覚しつつある。それは、中身なり外見なり、であるけれど。当然のように、明らかに母親譲りである部分だってあるはずだ。
なんというか、脱力するような言いようのない感覚。彼女と一緒にいて数限りなく体感したそれは、所謂きはずかしさ、だとか面映ゆい、だとか表現するのだと認識することはできてきたのだけれど、それでもやはり。
「‥‥ルル、あなたは‥‥‥。そんなことを、思っていたんですか」
「えへへ!‥‥あ、もちろん、このこたちとエストは全然違うって、わかってるわよ?でも、ただこのこたちを見ていると、思うの。たくさんたくさん、幸せにしてあげなくちゃ、って。たくさんたくさん、愛してあげたい、って」
幸福そうに見下ろす眼差しは、いつだって優しい。優しいくせに、捕まえる。捕まえて、決してにがしてはくれないのだ。
「もちろん、おねえちゃんのことも。――――エストのことも」
潔いほどの言葉が。まっすぐ見上げられる瞳が。
いつだって、逃げ場を失うような錯覚に陥る。いつまでたっても、きっと、これから先も。それは、ずっと、ずっと。
「エスト、あのね、私、エストがだいすき。すっごくすっごく、大好きよ!」
「‥‥だ、だから、貴方はいつも唐突だと‥‥っ!!」
「ふふ、言いたかったの!それに、この子にだけ言って、エストに言わないと、拗ねちゃうかなって?」
「‥‥拗ねません。理屈がよくわかりませんし、というか、貴方は僕をこどもたちと同列に扱っていませんか?」
「こどもの扱いじゃないの!家族の扱いなの!!」
だからおねえちゃんもかえってきたらぎゅう、ってしてあげなくちゃ!
にこにこ、とそう微笑みながら台所へ向かう横顔。
ああ。
そう、自分の些細な主義主張だとか思考回路だとかあらゆるものに問答無用でお構いなしに。
彼女がいとしいと、思わされるのは、思わずにいられないのは、こういう瞬間で。
どれだけありきたりで陳腐で、使い古された言葉だとしても。だからこそ、こうして、悲しいまでに胸がいたい。
「ルル」
「なぁに?あ、今夜は特製シチューだからね!」
「‥‥帰ってきたら抱きしめるのはいいですが、大概にしないと、そろそろ嫌がられますよ」
「そ、そんな!!」
で、でもでも、だって好きなんだもの!!
譲らないわ、と取るに足りない決意を秘めて微笑む顔とくだらない会話と、ほのかに漂うシチューの優しい香りは、きっと。
思い描くことも諦めていたみらい。
聞こえないように小さく小さく言葉にのせた音は、楽しそうな鼻歌のリズムにまざってきえる。
(「こどもをだしにいちゃつくのは、ひかえましょう」)
(幸せ家族計画そのよん「いつまでたってもこいびとふうふ」)
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ふとした瞬間に、いとおしくなる。
たぶんわたしの描く結婚後のエストさんは、原作のワンドさんからしたら逸れてるような気がします。とワンド2をやって思いました。
でも、個人的にはいつまでたってもなんだか素直になりきれてないエストさんと、そんなエストさんに構わずらぶらぶ光線出しまくりなるるたんがわたしは好きなわけです。妄想乙。
弟は性格外見ともにルルたん似。でも髪は黒髪で瞳は碧。
20130901