Glisting Blue

 湖のほとりに少女の影を認めた瞬間、思わず踵を返しかけたのは、ある意味条件反射的な行動だった。

 常日頃くりかえしてきた行動はそのまま継続され、彼はそこをあっさりと立ち去るはず。が、刹那彼の耳をくすぐった、彼女とそぐわない陰鬱な溜息がわずか行動を鈍らせる。そして、まるでその隙をついたかのように視線をあげた彼女の甘い色の瞳に、しっかり遭遇してしまったのである。

「エスト!」

 にこり、と音がしそうな無邪気な彼女の顔は、‥‥ああ逃げ遅れた、と彼が悟るのに十分すぎた。
 まさしく悪戯をもくろむ子供の笑顔で、おいでおいでと手招きされる。
 阿呆らしいだとかなんだとか、思いながらも傍へ歩み寄ると、彼女はぽんぽんと隣のあたりの地面をたたく。つまり、座れと。うんざりと問いかけた目線にかえってくるのは、期待に満ち満ちた表情。

「‥‥はぁ、一体何がしたいんですか、あなたは」
「ふふ、いいから座って座って!」

 しぶしぶと従えば、くすくす、と柔らかい声がみみをくすぐった。「ほら、ここね、今日一番日差しがきれいな特等席なの!」きらきらと、木漏れ日よりも明確な光を放つ瞳は、まっすぐ彼を覗き込む。

「エストには、教えてあげるね」

     ああ、なるほど。  妙なひっかかりをおぼえる言葉は、先程のらしくない溜息と彼女が現状独りでいることと相まって、聡い彼がひどくシンプルな結論を導くには十分だった。

「‥‥アルバロと、ケンカでもしましたか?また。」
「え!?ど、どうしてここでアルバロが出てくるの!?‥‥まぁ、確かにちょっと今、怒ってはいるけど‥‥」

 何やら思い出したのか、むぅ、と頬を膨らませる。「それにしたって”また”なんて酷いわ、エスト!」と、一層ふくらむまるい頬にそえられた彼女の手に、なにか違和感を覚えた。正確にいえば、彼女の手の、その、爪に。それは、おそらく、見覚えある彼女のかたちの良い爪が、見覚えのない毒々しい色に、そまっていたから。

       いっしゅん、咽喉のすこししたに、抉る様な鈍い痛みが走る。その「色」自体には嫌というほど覚えがあったからだろう。
 鮮やかに過ぎる、ミントブルー。彼女の、こいびとの、男の色。
 視線に気付いたのか彼女は首を傾げ、即座にその意味を理解した。理解してその顔に現れるのは、先刻より増してすねたような表情である。

「‥‥これね、アルバロの魔法なの。髪と爪の色を魔法で変えてるって聞いたから、私もやりたい、って言ったの。それでね、いざ変えてみたのはいいけど      、」

 続きのかわり、忌々しそうに見下ろした先、10本のあおはきらきら、と木漏れ日を受けて輝いている。
 つやつや輝くみどりがかったあおいろに、はきけがする。と、思った。
 蠢くそれは、まるで知らない人間のもののようで。

「残念ながら、お世辞にも似合っているとは言い難いようですね」

 ひりりと焼けつく咽喉の痛さは張り付いた冷笑の奥。
 薄桃の彼女に、侵食するブルー。甘くて純粋な色に、あんなに激しく毒をはらんだ色が、相容れるようには思えなくて。
 正直すぎるその言葉をうけ、彼女はあっさり、言った。

「うん、私もそう思った」

 顔をあげると意外なほどに穏やかな微笑み。
 かすかに目を細め、三日月を描いた笑みは、きっと。彼の知らない彼女の顔。

「でも、私は好きなの」

 だから色としては好きだけど、私の爪に塗ったって似合わないのは事実なのにアルバロは‥‥っ!!と再びぷっくり膨らませた頬を、ブルーに染められた爪が覆う。 
 ‥‥‥ああ、本当に、なんて似合わない。
 それでも。それでも彼女は、毒々しい色を添えても、損なわれることなくきらきら在る。そういう。 

「似合わないんだもん、仕方ないわ」

 とっても、すきだけど。
 ぽつりと零したそれが、ほんの少し悔しそうに聞こえた。

「そうですね。僕にはまるで理解のしようのない悩みです」
「そ、そうだけど‥‥」
「‥‥いいですか、ルル」

 溜息まじりの言葉に、かおをあげた彼女はきょとん、と首を傾げた。
 勉強を教える時よりも真剣なそれに、いつもこれくらいでいれば、あれほど成績で右往左往せずに済むのでは、と思ったのは、心に留めておく。

「それまで身近に存在しなかったものに対して、違和感が発生するのは当然です」
「そ、そうね。そうだわ。ある日突然エストの髪の毛が長くなっていたらびっくりしちゃうもの!」
「‥‥その例えはやめてもらえますか。不愉快です。」
「え、でも、素敵だと思うけど‥‥」
「想像もしないでください、速やかにやめてください。       とにかく、見慣れないものに対して違和感が起こることは、最初はよくあること、ですから。」

 と、淡々とした声音は、どこか自分への言葉にも似て。
 ‥‥ああ、そう。この感覚も、きっとただ、見慣れないことへの違和感。
 つねに傍らに、居続けるすがたをみるたび、じわじわと蝕まれるような感覚も。彼女の姿を認めただけで、前に増して、逃げ出したくなるのも、だからきっと。

「それが当然になれば、違和感は消えるんじゃないですか?」

 きっと。
 言い聞かせるような言葉を聞きながら、それでも彼女は寄せた眉根をほどかない。

「‥‥いつか、慣れるのかな‥‥」
「‥‥さぁ?」
「それに、エストも似合わない、って言ったもの‥‥」

 しゅん、と音をたてて彼女の周りの空気が沈む。
 呆れたように出た溜息を、さて本日は何度目だろうかと数えることも放棄して、彼はすくっと立ち上がる。その動作のおまけのように、呟く。

「悪いとまでは言っていませんよ」
「え?」

 ちらりと見下ろした彼女は、やわらかい日の光と木の葉の影にいろどられて、やさしく映る。
 かなしいほどに優しい光景を振り払い、小さな会釈と「それでは、僕は次の授業があるので失礼します」というそっけない挨拶だけ残して、当初の予定通り踵を返した。
 「エスト、ありがとう!」と背中越しに追いかけてくる素っ頓狂な言葉に、決して振り返らず。振り返ることなど、出来ずに。


 木漏れ日にきらりひかる、ミントブルー。
 似合わない、と確かに思った。
 けれど、きっと。紫がかった闇色が、鈍く、やわらかい桃色を蝕むほうが、もっと、似合わないだろう。
 
         ああそんなことを思考するというそれ自体が、無意味な冒涜であり、この上なくおろかしいことだと。
 嘲笑って、闇色の少年は彼女に背を向ける。
 

















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 手招きされてそれに応じてるあたりが、デレだと信じてる。好感度が低いとスルーです(笑
 でも正直、ブルーより紫のほうがピンクには会うんじゃないかなぁ、という。まぁどっこいどっこかなぁ。
 アルバロルートの時、ルルのことがすきなひとはきっと気が気じゃないでしょうね、と心から思います。多分本人同士は結構しあわせなんだろうけれど。周りはね。
   20110314