よる、あのひとの苦しそうにむせるこえで目を覚ます。

 羅刹という、ひととは生きる時間がことなる生き物になった彼にあわせて、夜は出来るだけ起きているようにしたかった、けれど。それでも時々うつらうつらとまどろみに誘われてしまう。だから、その日も。忌々しそうな声音とせき込むおとで、わたしは淡いまどろみから目を覚ました。
 
 すぅ、と肌の下を撫ぜる冷たい予感が、滑り降りていく。
 廊下に出るだけで聞こえてくる、断続的に蝕むふかい咳のおと。こわくて、こわくて仕方がない。

「沖田さん」

 おもわず口をついて出た。聞こえないとしっていても、それで繋ぎとめられるのではないか、と。そんな仕様もない思い。煌々とさしこむ月明かりがいやにおそろしくみえて、ひとりで見上げたまるくおおきな月は、ひどくさびしかったから。
 まるい月にかきたてられる胸騒ぎに、後押しされてすすんださき、目的の部屋の障子は開かれていた。

「おきた、さん‥‥っ」

 不安がにじみ出る声音。まるで、何もできない幼子のようで、なさけなくてしかたがない。それでも、かおを見たくて、どうしようもなくて。

「‥‥あれ、起しちゃった?」

 せきこんでいたこえがまるで私の勘違いであったかのように、彼は静かに、微笑んでいた。
 その顔を見ただけで、思わず泣きそうになる。
 もうしわけなさそうに眉をさげた表情に、思わず左右に力強くくびをふっていた。
 
「なに?千鶴ちゃんそんなに僕に会いたかったの?」
「そんな、こと、」

 静かに笑うその顔が、不安を駆り立てる。からかうような言葉も、うまくかえせたきがしない。
 開かれた障子の傍らにたちつくす。畳に足をふみだすことが出来なくて、たたらをふんでいた。
 
「あ、の。お水、お持ちしますね、わたし‥‥」
「いいよ、だいじょうぶ」
「でも、」
「いいから、こっち。来てよ」

 ここ、と。枕元のあたりをぱしぱし叩く。
 ‥‥相変わらず、沖田さんには逆らえない。恐る恐る越えた境界線。背後からさす月明かりで作られた私の影が、彼の顔にかかる。

「‥‥すわって」
「は、い?」
「もうちょっと近く‥‥あ、そうそう。うん、そのままね。」

 と言うが早いか、沖田さんの頭が膝の上にぽすん、とおちてくる。お布団に寝そべって、中途半端に体をずらしているので体勢がつらくないだろうか、と思っても、とてもではないけれどそんなこと、言えるはずもない。ただただ硬直する私。
 見下ろす位置の頭は、猫のように目を細めている。思わずまじまじと眺めた横顔は、あまりに、穏やかで。あまりに、静かで。

「‥‥あの」
「何?苦情は受け付けないよ」
「いえ、そうではなくて」

 少しだけくびを回してうっすら開かれた目線は、なぁに、とそれだけで問いかけてくる。いつもとは違う視点に、すこし、不思議な気分。そっとふれた頬は、熱のせいかほのかに熱い。
       不意に浮かびそうになる涙は、きっと。このひとが愛しすぎるせいなのだと、思う。

「わたしは、ここにいますから」
「‥‥」
「沖田さんの傍に、ずっと、‥‥ずっと、いますから」

 見つめあって当たり前のように笑ってくれる彼は、本当は、内をさらすのがへたで臆病で、やさしい、ひとだから。私に出来るのは、精一杯それに笑って応えることだと、思っている。
 無理やりつくった笑顔はあまり上手ではないかもしれない。それでも、いい。くしゃりと笑ってみせた彼も、とてもきれいな笑顔とは、いいがたかったから。泣き出す寸前のように私達は笑って居て、じんわり伝わる体温だけが、ひどくくるしかった。
 静かな部屋に、無造作に転がる静寂。けっしてそれを、冷たいとは思わない。

 ぼんやり此方を見上げていた沖田さんは、不意に、ころん、とすり寄るようにひざに甘えて、ぽつりと、そらごとのように呟いた。「やっぱり、全然似てないなぁ」と。
 意味が分からなくて問い返そうとしたのを、遮るようにねぇ千鶴ちゃん、と名前を呼ばれた。
 思わず瞬いて見下ろしていると、今度ははっきり聞こえる声で告げられる。

「今日はいい月夜だね」
「え?」
「優しい、きれいなお月さま。」

 誘われるようにあげた視線の先、
 あけたままの障子から、月光は降り注ぎ続ける。ぼんやり見上げた丸い金色は、ほっとするようなやわらかさだった。
















(そばに居られるのなら、怖いものなんてない。)
(あなたを、失ってしまうこと、それ以外なら)


















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 一応、の続き。沖田さんの場合。
 おきちづは割と甘くできるのですき。この二人はお互いがいれば無敵だけれど、いなければ臆病だといい。元気質がどっちも臆病だと思うから。
   20101025