「エスト、おはよう!今日もとっても素敵な日ね!」
「おはようございます、ルル。‥‥今日はまた、いつもより一段と無駄なエネルギーの発散に磨きがかかっているようですね」

 朝の寮、食堂前で出くわしたピンクの髪の少女は今日も今日とてえらく機嫌が良いらしかった。「楽しいこと!」と「嬉しいこと!」で構成されるのだろう彼女は、うっすら皮肉がかったエストの態度を気にすることもなく軽やかに歩み寄ってくる。
 そして、純粋な瞳をきらきらさせて、ふふ、と笑みをこぼし言った。

「夢!」
「‥‥。は?」

 ゆ、め!とにこにこ笑う彼女は繰り返す。
 何のことはない。夢見が良かったのだという、たったそれだけで満面の笑みに弾む足取り。
 あきれた。という感想を抱くには、今更すぎる。そこそこ付き合いを持っている‥‥否、付き合いをもたされている彼女のこういった言動は、悲しいかな常のことであるのだから。

「とってもとっっても素敵な夢だったの!」
「‥‥たかだか夢のことでしょう?」
「でも、素敵な夢だったのよ?エストは、そういうことないの?」
「ありませんね。人間の見る夢は、脳内の情報整理の際に見せる映像にすぎません。いわば幻です」

 だいいち、と。
 すぅ、とエストは目を眇めた。遠い記憶は、夢でなくても思い起こせる。
 うっすら口元を象るのは恐らく皮肉げな笑み。それがひどく苦いのは、ただの自嘲で自虐なのだ、と。或いは自分自身でも理解はしていた。

      仮に、自分の望む世界を夢で見たとしても、目を覚ませば待ち受けているのは逃れようのない現実です。それは、余計に苦しいだけではないんですか?」

 大昔にみていたゆめがあった。
 けれど、目覚めればそこは暗い冷たい世界のなか。醒めるたびに何度も現実を知る。そしてあまりに無意味な夢を見た、自分自身を嘲笑う。そんな繰り返しの中、いつしか夢は見なくなった。

 ‥‥そういう、ことではないのか?
 
 問いかけるような試すような目線に、近しい高さにある眉は、ほんの少し下げられてハの字を描く。むむむ、と口からこぼれるのはどこか間の抜けた唸り声で、どこか毒気を抜かれる姿だ。けれど、彼女なりの誠意と論理を以て、まっすぐ彼の問いから、目をそらすことはない。

「確かに夢で幸せでも、目を覚ませば無くなっちゃうものね‥‥夢の中ですっごく美味しいマカロンを食べていて、目が覚めた時はショックだもの!」
「‥‥どうしてあなたは例えがいちいち食べ物なんですか」
「えぇと、わかりやすいかなぁ、と思って‥‥。と、とにかく!エストの言うことも分かるわ、とっても。
 でもね、幻みたいなものかもしれないけれど、意外と馬鹿に出来ないんじゃないかなぁ、とも思うの!」
 
 にこにこ、と微笑む笑顔は無邪気に。ぴん、と立てた人差し指をそらに向け、明るい笑顔はきらきら輝く。

「だって夢に見る、っていうことは、それが自分にとって必要で、一番で、欲しいものってことでしょう?ああ、夢に見るくらい私、大好きなんだな―、ってね!」

 それは、
 それはちくりとささる、一言で。
 間違いだと否定したかったのに、声はあがらず言葉は彼ののどに張り付いたまま。

「それにね、いつか、今見た夢が『夢』じゃなくて現実にならない、って。そんな日が絶対こない、なんて、誰にも言えないじゃない?苦しいけれど、それだけ『良い』未来があるかもしれない、って思うの!」

 まっすぐに突き刺さる。
 いつかの夢。
 或いは、彼女の存在が。

 きっと彼と彼女では事情も背景も何もまるで違って。だからこそ、素直に頷くことが彼には出来ない。けれど同時に首を横にも振れないのは、本当は。

「‥‥あなたは、本当におめでたい人ですね。幻が現実になるとでも思って居るんですか?」
「少なくとも、私は今日見た夢を実現したいわ!だって、本当に素敵だったから」
「そう、ですか」

 ゆっくり瞬く。抱えた魔道書の重みが思い出せとささやくけれど。それを抱えてしっかり彼女を見返した。
 むかし見た夢は、決して叶わないと思っていた。つまらなくて、くだらない幻。
 ‥‥だったけれど。

「そう、なのかも、しれないですね」

 口の端に乗せた、皮肉げなそれではない笑みが。ふわりと咲く。
 それは多分。ほんのすこし、いつかみた「夢」が、叶っていることを、知っているから。不可能でありえないと、せせら嗤ったあの日には想像だにしなかった、たったひとりの少女のおかげで。

 無邪気に「うん!」と明るく返事をする彼女にそんなことを知られては、調子に乗られかねない。
 それでも抑えきれない淡い笑みが彩る口元に、理由を知らない彼女もひどく幸せそうに微笑み返すのだ。

     わらって、なまえを呼んで。挨拶をして、話をして。そばに、いてくれるひと)

 そんな、ささやかな、けれど遠いゆめ。
 求めた親は決して与えてくれなかったものだったけれど、それでも、赤の他人の彼女がそういうものを与えてくれる方がもっと、ありえないことだったのかもしれない。

 顔を上げれば、柔らかく注がれるきれいな飴色。手の届くところにある淡い夢のような。
 思わず目をそらすのが拒絶ではないことは、彼自身がいたくらいに知っている。度し難い、うっすら浮かぶ錯覚を。のみこむように目をそむける。もっと、近くに。望めば手に入るんだと、そんな、錯覚を。そんなことこそ「夢」でしかない、と。
 だから代わりに、そらした目線で投げやりに問いかけた。

「‥‥ところで、結局あなたは何の夢を見たんですか?お菓子ですか?それともランチですか?」
「なんで食べ物ばっかりなの!!ち、ちがうもん!!」
「まぁ、僕には関係ありませんけど」
「エストには、関係あるよ?」

 え?と視線を戻せば、少女は悪戯っぽく笑ってみせる。

「あ、の。ルル、それは‥‥」
「い、いけない!!ほら、エスト、授業遅れちゃう!!さ、急ぎましょ!!」

 どういういみですか。
 問いかけは、全力で走り去った少女の勢いに空しくかき消された。

「‥‥‥っ」

 しかし悲しいかな、少年は、概ね意味合いが察せられないほど、浅はかでも、鈍くもなく。ついでに言えば、少女のことを知らないわけではない。
 だからあなたは、どうしてそう恥ずかしいんですか。と呟く文句は彼女には届かず。てのひらでおおい隠した彼のかおは、先刻の少女と同じくらいか、それ以上に。



 ゆめからさめる、音がした。
 淡い夢はただの「過去」に流され、「現実」の近づく足音を聞く。それが幸せなのか不幸なのか、彼には分らない。
 ただ、現実に打ちのめされても構わないから、


  (あなたとおなじ、ゆめをみられたら)




 それは、きっと、確かに幸福なのだろうと。








し あ わ せ に

ち る ゆ め
















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 エスルル第一弾だったもの。ブログの時より暗くなっているかもしれないのはご愛嬌。だってエストは吹っ切れてルル至上主義な生き物になるまで、こちゃこちゃ小難しく考えていそうで。
 わたしはそんな小難しくてちょっとめんどくさい彼が好きです、えぇそれはもうだいすきです。
   20110114