寮でおやつの準備をしていると、よく知ったピアノの音色が聞こえてきた。

 オーブンから取り出したケーキを横に置き、耳を澄ます。
 軽やかで甘い音色。歌うようなメロディは、心のおくを柔らかくつかんで離さない。
 いつか奏でていた、ガラスのような危うい切なさではなく。せつないのだけれど、もっと、あまやかで、そっと心に波紋を落とすような、優しい音。

 音色に惹かれるようにふらふらと進んでいくと、一心不乱に鍵盤に向かう、予想通りの後姿があった。
 以前そこにあった悲壮感はなくなって、ただ、真摯な想いだけが残っている。

(あ、どうしよう、なんか泣きそう‥‥)

 そのすがすがしい背中を見ていると、嬉しくて。
 ‥‥それから、ほんの少しだけ、さみしくて。
 こうしてあの背中を見つめる機会は、あと、どれくらいあるのだろう、なんて。

 あまやかな音色。優雅で美しいメロディと相まって、まるで囁くように。最後の一音まで、語りかけるように歌い上げる。寒くもないのに体が震えて、とくとくと鼓動が早い。

 と、彼の長い指が鍵盤を離れた途端、ぱ、っといきなり此方を振り返った。
 胡乱げな眼差しをこちらに向け、ちょいちょいと長い指で手招きをされる。ぞんざいだなぁ!と思いながらも、とことこと近寄って話しかけた。

「気付いてたの?」
「ったりめーだ、てめぇのどすどすうるせー足音をこの瑛太様の耳が聞き逃すはずねーだろ、ばーか。ってか盗み聞きとか相変わらず油断も隙もねぇ奴だな、てめぇは」
「ご、ごめんね、素敵な演奏だったから、つい惹かれてきちゃった」
「ったく、珍しく誰もいねぇと思ってたのに。――――で、どーよオレサマのスペシャルな曲を聴いた気分は?」

 目線で感想を求められて、ぱ、っと紅潮した頬のまま感想を語る。

「うん、とってもとっても素敵だったよ!いつも弾いてる曲と全然雰囲気の違う曲だよね?」
「あー、まぁな」
「うーん、だからな、何だかちょっとね、こう‥‥ドキドキしたよ」
「っ!!」

 思わず瑛太君が固まるのを見て、あれ、変な表現だったかな?と首をかしげていると、組んだ指の上、軽く額を乗せた彼の口から。

「ウソだろ。なんなんだよ。普段とこっとん激ニブなくせしてどーしてこういうとこだけはずさねぇんだ。あー、もう、マジうっぜほんとうっぜ」
「え!?何、私なにか不味いこと言った?」
「ちっげーよばーーーか!!ばかばかばーかこのコダヌキ!!」
「えー!?なんでそこでカズマ君みたいな罵倒が出てくるの!?」
「うるっせぇ、てめぇはオレサマのおもちゃなんだから、藤重なんぞに遊ばれてんじゃねぇよ!」
「えーー!!」

 理不尽だ、理不尽だ!!
 この理不尽な彼の言いがかりは、私の伝家の宝刀「おやつ抜きよ!」が発動するまで続くことになった。
 そんな伝家の宝刀の波及効果でやや不機嫌な瑛太君を、改めて覗き込んでみる。

「でも珍しいね、本当に。コンサートの曲‥‥っていうわけじゃないんだよね?」
「べっつにー。どうでもいいだろ。息抜きだよ息抜き。」
「ねぇ、今の、なんていう曲なの?」
「―――っ、べ、べべべ、別になんだっていいだろ!?」

 珍しく動揺した彼は、私の目に触れないようにわさわさと楽譜を集めて鞄に詰め込んでしまう。
 なんて素早い。しかし、そんなことされると私だってちょっとばかしむきになってしまうわけで。

「えー、なんかそういうリアクションだと気になるなー」
「うっせ、何でもいーんだよ。ばーか」

 ちらり、とこちらをうかがうような目線が投げかけられる。少しの間見つめ合った後、「あー、まー、その、なんだ。」と、言いにくそうにしばし澱む。思いのほか真摯な表情がそこにはあって。とくん、とひとつ。鼓動があがる。まるで、彼のさっきの演奏を聴いていた時のように。

「お前に聴かせたい曲だ」

 ぶっきらぼうにそういうと、私がまた質問をする前に再び演奏を再開する。楽譜は仕舞ってしまったけれど、その指先に迷いはまるでなかった。‥‥ずるい、こんなに素敵な演奏されたら、何も聞けないよ。
 だから、私はピアノの傍らでそっと耳をそばだてる。
 零れるように降ってくる優しい音色が、心の中にしみいるように、離れない。とくんとくんと高鳴る鼓動は演奏のせいなのか、それとも‥‥。



エルガー作曲 愛の挨拶















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所謂甘い曲。メロディからなにから何から何まで、ついでに作曲者が婚約の記念に奥様に贈ったっていう逸話まで甘々なベた甘な曲ですよ。ちなみに奥様年上だからわぁぴったり☆って思った次第。
Rは基本的に大好きだけれど、こう、金色のコルダ無印みたいな、ああいう曲とか作曲者の小ネタをもっと入れてもらえたらもっと楽しかったなぁ、っていう。

卒業直前なのでちょっとえーたの態度柔らかめ。ピアノだけじゃなくて言葉に多少素直さが見られるようになるのが、EDのほんとに直前ってある意味すごいよなぁ、この子。
心がまんま演奏に出る子なので、さぞあっまい愛の挨拶になるだろうっていう妄想。

  20131223