どんなかたちか分からないひとたちにも、ゆきはしずかにおりてくるらしい。
 クリスマスに愛を語らう恋人たちを、祝福するためのものだと思っていた。





クリスマスキャロルのその後は。




 クリスマスを一日過ぎると、一瞬の空白が街には生まれる。一大イベントを越えた次の日、次のイベントへ意識を切り替えるのには少し、時間が必要だ。それも、ほんのすこし、のことではあるけれど。

 夜。それは、前日と打って変わって静かな夜。影時間には、まだ時間があれどもこどもが外を出歩くにはずいぶんと遅い。そんな時間に、制服姿の少女はひとり、橋の欄干に腰掛けてぼんやりとたたずんでいた。
 曇天の空をみあげる様は、その向こうに、確かに星が見えているようでもあった。

 息が凍るこの季節に高校指定の制服と、防寒具はマフラーひとつというのは、いささか寒そうなに見える。そんな格好で欄干に座って危ういバランスで足を遊ばせる姿は、ひとが見れば見咎めそうなものの、時間も時間であり、そこには人気など存在しなかった。
 ふわり。淡い息を吐きだし、彼女はまるで、なんてことはないように目を閉ざしている。
 つまり、彼女はいつ向こう側へおちても不思議ではない危うさと身軽さで、そこにいた。

 だから、そのまま、くらり、と。橋から身を躍らせたのは、故意なのかそれとも、足をすべらせたのか。それさえもわからない。けれどその流れには、迷いもためらいも、悲壮感もなく、ただただ、ねむりにしずむ自然さと穏やかさだけが。
 
 落下速度にゆだねられたその華奢な肢体は、冷たい12月の川に叩きつけられ、果たして無事で済むのか、と、思う暇すら与えない。
 ‥‥与えずに、それを引き止める手があったから。
 彼女の腕をつかまえて、強く、つよく引き寄せる。

「なにを、しているんだい」

 強張った声音から、それが彼にしては珍しい怒気をふくんでいることが分かった。
 いつもは穏やかな彼の焦る姿に、うっすらと目をひらいた彼女はただ黙ってその瞳を見つめるだけ。その、答える気の見えない態度に苛立って、彼の手にこもった力は増していく。
 ぎり、と、音をたてたそれは、同時にゆらぎを隠すように、つよく。
「どうして、こんなことをしているんだ。」と、攻め立てるような声と眼差しと、その腕の強さをさらりと無視し、彼女は逆にふわりと彼の手にふれて、ゆるゆると、表情が変わっていく。

「つかまえた」

 猫のような、微笑み。
 鮮やかにそう微笑むのを見つめて、彼の瞳は、ひっそりと静かに曇る。
 たやすく振り払えるはずのつめたい指のささやかな拘束。一連の行動の真意と原因を理解してなお、いな、だからこそ、その眼差しは、彼女をせめる。

「‥‥こんなこと、二度としないでくれ。君はわかっていないよ。自分がどれだけ大切なのか、わかっていない。」
「‥‥‥そう、なのかも」

 思いがけない肯定に、訝しげに彼の目が細められる。それを真向から見返した彼女は、ゆっくりくびをよこにふった。

「わからないわ」

 一語一語、そのたび、それは白くカタチをつくる。
 だってわたしは、ごく普通の高校生だから。言葉の通り、無邪気に、そして透明にわらってみせる。
 
「べつに、死にたかったわけじゃないもの」
「‥‥、」

 なにかをいいかけようと開かれた彼の唇は、白い。
 けれどそれはただ、何の音も発することはなく閉ざされるだけだった。きり、と噛みしめる音がする。

「どうして君は、こんなにも僕を、困らせるんだ‥‥っ」

 ずるいよ、と。泣き出しそうに歪められたそれは、小さな子供のように。けれど、それを裏切る様な淡い笑みは、精一杯の彼の矜持と義務。
 それさえも「だって、会いたかったんだもの」と彼女は一言で切り捨ててみせて。彼が口を噤んだのをいいことに、言葉を重ねた。

「賭け、だったの、わたしが愛していたのは、女の子が真冬の川へ落ちるのを黙って見ていられるようなひとじゃない。たとえ、それが、会ってはならない相手だとしても。」

 名案でしょう?という問いに、答えはない。
 そのことに対して不満そうな様子も見せず、彼女は続ける。

「あなたがわたしを見捨てられたら、あなたのかち。わたしを見捨てられなかったら、わたしの勝ち。ね?わかりやすいでしょう」
「‥‥」
「負けたら負けたでも良かったの。きっとそうしたら、世間に流されたことを考えたアタマも、流石に冷えたでしょうから。」
「‥‥僕が君を助けたのは、君に『選んでもらうため』『決めてもらうため』かもしれないよ。君という、イレギュラーな可能性を、守るためだ、って。」
「なら、貴方は『死のうとするのがわたしの選択だったのよ』と言ったら、この手を放すの?」

 重ねたつめたい指先を、自ら解く。
 どうするの?と問いかける眼差し。答えを見越すようなその、瞳。
 均衡した視線を反らしたのは、彼のほうだ。けれど、手を放そうとすることだけは、しない。出来なかった。

「ひどいな、君は。僕が、‥‥僕が、君を、見捨てられるはずなんてないじゃないか‥‥」
「わたし、酷い女だもの」

 ごめんなさい。
 謝罪のことばとともに、彼女の体重が彼の肩口に加わる。そのからだは、ぞっとするほど冷たい。にんげんではない、と。言ったはずの彼の温度のほうが、ずっとずっと温かくて。そのくせ、見上げてくる瞳に見えるのは、ゆらゆら揺らめく深い色。

「でもね、ごく普通の高校生なの。‥‥クリスマスを、一番大切なひとと過ごしたい、って。思うような、そんな、他愛のない」
「そう、思っていたのは。君だけじゃないよ、きっと」

 きっと。
 主語を明瞭にさせない、どこか遠い言葉。それが彼の精一杯で、
 彼女の背中に回すことのできないてのひらを、きつく握りしめる。

      そろそろ、時間だ」
「そう、ああ、もうそんな時間?」

 最小限、欄干から橋へと着地する彼女に手を貸して、静かに彼は、彼女を見おろしている。水面の月を見つめるように。物悲しく、いとおしそうに。見上げる彼女は、曇天の星を探すように。まっすぐ、確かな眼差しで。 

「‥‥プレゼント、」
「え?」
「プレゼント、用意しそびれちゃった。ごめんね」
「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
     じゃあ、代わりに」

 なにを、と問う前にするりと彼女の首に合ったマフラーが外される。
 やんわりと首にかけられたそれに、わずかなぬくもりが残る。あんなにつめたい体だったのに、きちんと彼女がいきている証だった。
 かけられたそれを外して、彼女の手に返したのは、まるでその温度がうつるのを、畏れるように。

「気持ちは嬉しいよ、でも‥‥受け取れない。受け取る、資格がないよ」
「‥‥貴方が受けとってくれないなら、これはいらないものだわ。だって、本当は自分でつかうためじゃなくて、人に贈りたくて作ったから」
「‥‥‥‥だったら、なおのこと」
「受け取れないのなら、棄てて。あなたが、『貴方』でないと、言うのなら。棄てられるはずだもの。それで構わないわ」

 言葉をさえぎり、彼女は微笑む。
 すてて、と。再度繰り返す声音はうたうように優しい。

「でも、捨てられないなら、もらって」

 言葉を亡くす。
 何も、言えない。
 満足げな猫のような微笑みを浮かべる彼女は、くるりとスカートを翻し、


「やっぱり、わたしの勝ちね!」

 振り返りもせず、走り去っていった。
 闇の向こう、「またね」という、いやに明るいこえが反響した。次回、出逢ったときにためらうことも、迷うことも、彼女はきっとないのだろう。それがどんな選択であれ。

 いつだって、彼女は颯爽と走っていくのだから。




 わずかに瞳を伏せた彼は、恐る恐るやわらかい毛糸にふれる。
 悲しいほどに日常であり、やさしいくらいに、それは残酷だ。




「捨てられるはず、ないじゃないか」

 本当にきみは酷いね。その悲しげだけれど優しい呟きは、夜の暗闇の中に掻き消えていった。




 誰もいなくなったクリスマス翌日のその街に。
 音もなく、降り始めたのは白い雪。一日遅れのホワイトクリスマス。
















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 くりすますきゃろるのころには。が脳内望ハムそんぐに認定されてがーっと書き上げました。
 どうして、どうして望月にはクリスマスイベントないの‥‥っ!!わざわざうちのハム子はキープ君差し置いてクリスマスは独りで過ごしたのに。あの馬鹿(いらっ
 私は望月というよりは、対望月の強気なハム子が好きらしい。残念。母は強し、女は美し、がハム子のモットー。
  20101022