ざん、
寄せては返す潮騒の音。
鼻につくなまぐさい香りは、ソレだけで既に十分塩辛い。
視界の限り続く青は空の青さと混ざり溶け合って、どちらがどちらと判別のつかぬまま果て無く際無く曖昧に続いていく。どこまでも、どこまでも。
ティエリア・アーデはそれが嫌いだった。
はっきりとしない。その曖昧さは彼にとって厭うべきもの、だから。
だから彼には、海を楽しむ他のクルーの心境がまるで理解、できなかった。
今回のミッションプランの拠点となるそこは、おそらく海辺の別荘のひとつなのだろう。とても豪奢な屋敷で、その外観ももちろんのこと、何よりも素晴らしいのはその眺望だった。
リビングから見える景色は、一面の海原。
吸い込まれそうなくらい高い空と、時折白く、きらきら光る水面。そして深く、遠く、広がる海。すぐ下が崖という立地条件がその眺望を叶えているらしい。
ほかのクルー(特にクリス)はそれいたく喜んでいた。
視界を遮るものが一切ない、ただ視界は青く、青く。
理解、できない。
磯の香りと太陽の光を拒むように閉め切った窓から淡々と、海を眺め続ける。しかしそれは景観を楽しんでいるとは到底言い難い。寧ろ仇敵を見やる時のように、その眼には鋭さがあった。
「ちょっとした金持ち気分だな、こりゃ」
軽い声がかけられて振り返れば、明るい髪の青年が笑っていた。そのままティエリアの隣へ立ち並ぶ。遠すぎず、近すぎず。
無感動にそれを見返す紅玉が、ゆるやかに瞬く。
「ロックオン・ストラトス」
返事の代わりに呼ばれたフルネームを、ロックオンは苦笑一つで受け流した。
「ご機嫌斜めだな」
「‥‥‥・身元を怪しまれないようにするためとは言え、こんな施設を用意する必要など、なかったはずです」
「別にいいじゃねぇか。眺めもいいし。皆だって喜んでただろ」
‥‥‥それが、
それが、理解できない。
「関係、ありません。我々の目的には不要なものだと、言っています」
「じゃあ何だよ、見るからに『怪しいです』って主張してるような所が良かったのか?」
「それでは隠れ蓑としての機能を果たしません。意味がない。
「分かってるよ」
呆れ半分困惑半分、という顔で、ロックオンはことばの続きを遮った。
本当にこの人間離れした美しい顔の持ち主は、その思考もどこか人間離れしているらしい。
「無駄なことをする必要はない、必要のないことはすべきではない。‥‥‥ま、そういうこったろ?」
「それが分かっているなら、何故」
苛立ったティエリアの言葉に、ロックオンはゆるく首を振る。
違う、と。
小さなこどもに言い聞かせるように、その言葉はゆっくりと。
「それは違うぜ、ティエリア」
「なにが違うと言うのですか」
「人間なんてのはな、無駄と不必要で出来てるんだよ。だから人間である以上、無駄なことと不必要なことは、『必要』なものなんだ」
「
「矛盾、ねぇ。それを言ったら俺達だって矛盾だらけだろ。武力による戦争根絶、なんて立派な矛盾じゃねぇか」
「それとこれとは、話が別だっ」
そうか〜?とこちらの態度に反して軽い答えを返しつつ、ロックオンは無造作に目の前の窓を開けた。
かちゃ、と軽い音をたて、流石手入れの行き届いているそれは、すんなり開いた。空調のきいた室内のものとは明らかに違うぬるい風が頬を撫ぜる。一緒に、潮の独特の香りを運びながら。
ロックオンは、窓の外の遠く遠くを見つめて、いた。
「仕方ないさ」
俺たちは、人間なんだから。
開けた窓の向こうから、風に乗ってかすかにクルー達の声が聞こえてくる。
楽しげにはしゃぐそれを聞きながら、ティエリアにとってシンプルかつ最大の疑問が口をついた。
「なぜ、彼らはああもアレが好きなんだ」
理解できない。
それは彼の純然たる疑問であり、そして彼の苛立ちの根本にある。
理解できないが故に無駄だと思い、不必要だと切り捨てる。
答えを持っていると思われる隣の人間は、少しの間中途半端に口を開いて言葉を探しあぐね、
今日はグローブをはめていない指先が、つ、と青を指す。
「無意識、なんだよ」
「‥‥‥」
「きっと、誰もお前に返せる明確な答えなんて持ち合わせちゃいないさ。ただ、」
少し、懐かしいのかもしれない。
「なつかしい・・・?」
「ま、俺の個人的な意見だけどな。」
そう言いながら、吹き寄せる潮風を受け入れるように、僅かに目を伏せた。
同じ白い肌でもティエリアとは違い、健康的なその肌に、影が落ちる。
そのまなざしは穏やかで、懐かしんでいる、という言葉が相応しいのだろう、きっと。
「生き物はもともと海から生まれたっていうだろ?母なる海、ってな。だから、いつか還る場所、みたいに思ってるんだ
言わんとすることは、漠然とではあるが、分からなくもない。
‥‥人間なんだから、という言葉が頭の中で繰り返される。
しかしそれでも尚、彼らのあの無邪気なまでの反応を、理解できるとは、とても思えなかった。
鉄のゆりかごで育てられた彼には、この母なる海という青いゆりかごは、どうにも馴染めるものではなかった。抱かれたことのないその腕は、優しいのか、恐ろしいのかも、まるで想像がつかなかったから。
きっと、だから。
あの青が、きらいだ。
よせては返す波の音。
こころ穏やかになるような不安を駆り立てるような、不思議な音色。
‥‥やはり嫌いだ、と思った。
「俺はあそこに還れるかな」
ぽつり、と独白のようにそれは隣からこぼれた。
それはどこか波の音に似ている気がした。穏やかに、微笑いながら。
含まれた響きに何か感じながらも、言語化しきれないそれを、だから彼は気づかなかったことにした。
代わりに少しだけ。
母なる海に抱かれなかった自分は、どこへ還るのだろう。
漠然と、そんな無意味なことを思いながら。
青 をみつめて、紅。
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ロックオンに懐き切る前のティエリア。
これぐらいが好きだ。あいつ懐ききると怖いんだもん・・・・・。
あ、一部改正しましたー。私→俺に(超ささやか!
20080513
20080528 改正