た な ご こ ろ

 果てなく底なく苛み続ける空腹とそれを満たそうとする飽くなき渇望。美味と充足を求め満ちる事無き欲望と本能。尽きることなど果てることなどまるで知らぬかのように、何処にも見えぬ最果ての終焉。
 それが己の本質。
 魔界であれ地上であれ、それが変わることはない。
 脳噛ネウロにとってそれこそがゆるぎなき真実。
 





 浮遊感にも似た意識の収束、つまり覚醒。
 茫漠とした虚無の世界からの帰還。眠りと言う名のひとときの幻が消える。上空の白い天井、背には上質なソファーの感触。よってそこがどこであるかを認識できた。とたん。

 ・・・・・腹が減った。

 が脳噛ネウロの第一感想。

 秀麗な眉をひそめる。
 満ちぬ餓え、とは慢性的な病であり治す手立ては定期的な栄養摂取のほかになく、さらに放っておけば死に至る病。  厄介ではあるが、しかし食の歓びは何事にも代えがたく。
 だから結局は、欲望に従う、のみ。

 たぐれば謎の気配、食事の香りを微かに感じる。

(それが)(我が真実)(故に我が輩は我が輩であり、)

 寝起きのけだるさを纏い再度瞼を下ろす。

(そしてそれは)
(命の危機すら、顧みぬほど)

 彼の世界と異なる場所である、地上がその生命を徐々に蝕むものであることは動かし難い現実。
      もっとも。
 それと同時に彼の命を直接脅かせるものなど、この地上にはないことも、事実。
 それこそ。慢性化した飢餓と言う病以外には。


「ねぇネウロ。」


 声がした。
 聞き慣れた声。呼ばれ慣れた声。
 ふかい碧の瞳に、少女が写りこむ。

 覗きこむように見下ろしてくる少女の色素の薄いショートカットが揺れる。制服にヘアピンに細い手足に柔らかい表情。いつもの通り。ただ、見下ろしてくる角度が気に喰わない。常ならばそれは彼の特権だから。ただそれだけ。
 それ以外ならば。

 微笑む少女は見慣れたすがた。
 寸分の狂いもなく、ソレは紛れもなく桂木弥子。どこぞの誰かの化けたものでは、ない。


 そして記憶と違いない薄い唇は、笑みを張り付けたまま。
      動く。紡ぐ。
 見慣れた唇から紡がれるのは、聞き慣れぬ言葉。







 死んで、くれる?






 白い手がからみつくように首にかかる。やけに優しくまるでいつくしむように。けれど逆の手には大ぶりの刃物。少女の華奢な手には不釣り合いな鈍色。ぎらりと光るのは電光の反射。そしていたく穏やかな少女の表情。

 ・・・それは見慣れた筈の、少女だった。

 最後にいっそう笑みを深めて見慣れた少女はそれを




































 目を開く。
 覚醒。つまり今まで見ていた映像は

(ゆめ)

 脳が見せる幻想・幻覚。泡沫のまぼろし。

 しかし眼前にはその映像と同様に自分に迫る小柄なイキモノ。
 ・・・・ただその手にあったのは電光を鈍く照りかえす刃物ではなく、油性と大きく書かれたペンであったが。その顔は、ネウロが目を開いたことを捕捉した瞬間一気にこわばった。

 それだけで、推理の必要もなくソレがなにをしようとしていたのか、想像に難くない。
 そう確認して、彼は小さく息を吐く。まるでそれは。


(・・・・安堵?)


 であるかのように。

(違う)(なぜ)(安堵など)

 問。答えは即座に、返ってくる。

(奴隷は奴隷)
(主に歯向うことなど許されない)

 いやそもそも有り得るはずがない。
 そんなことが現実に、あるはずはない。

(そうコイツが、我が輩を害そうなどと)
(思うはずは)
(・・・・ヤコは、ヤコ)(であり、我が輩が我が輩で、あるのならば)

 だから、と。
 無意識に胸中を過ったそれに、ざらりと、嫌な感触。

(・・・・何だ、)
(まるで)

 きょとんとした、顔の少女が。見慣れた姿が。細い、白いその手が。
 夢の残像とかぶる。


(そうであって欲しいと、思っているような)


 見上げる。
 見つめる。


(桂木弥子が脳噛ネウロを殺そうと思うことなど、ない)
(そうで、あってほしい、と)


 思って、いる?








「・・・・ネウロ?」


 来る制裁に身構えていた少女は、予想外に襲ってこないそれに、驚きを通り越して不審を感じて居るようで。声から読み取れるのは、滲む警戒心。

 ・・・と、幾許かの、気遣い。

 馬鹿か、と。思う。
 それを言葉に出す事無く彼は。外向きようのカオを貼り付けにっこりと微笑む。そして数瞬後に少女は色気もなにもあったもんじゃない悲鳴を上げていた。人としてぎりぎりの角度でひねり上げられた手首が嫌な音を立てて人体の限界に挑んでいる。
 ネウロに浮かぶのはやけにイイ笑顔。で、弥子は期せず生きて死神に出逢うという奇跡が体験できそうだった。

 ぎぃいい、とか、あうぅう、とか。奇怪な悲鳴(奇声)を上げる弥子を見下ろす。それは、馴染んだ角度。
 細い手首。そこから繋がる小さな手。

 それを、見つめて思う。



(嗚呼、)



 この地上に彼を殺せるモノなど、そうはない。そのはず。XIやHALなどは特殊な例外で本来はそう、彼はこの地上の法則を超えた人外の存在。魔界の生物。

 故に。
 夢に出てきた、少女が手にしていた刃物程度では(たとえどれほどその身が人間に近づいていようとも)生命そのものを直接脅かすなど、その持ち手が彼女である以上出来るはずがない。何せ、この通り彼女は無力で彼に抗うことすらできない。
 よって彼女に彼を害することは不可能。

 なのに。

(もし)
(それが現実となったのなら。) 
(本気でコレが我が輩を殺そうと、思ったなら)





      果たして。
 


 脳噛ネウロは思っていたよりもずっと簡単に。
 このちっぽけな手に殺されてしまうのかもしれない。
 
 
 
             
















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ネウヤコ、ネウロ視点。難しい。
書いておいてなんですが、もし本当に弥子ちゃんがネウロに本気で害意を向けても
魔人様は嬉々として制裁をお加えになられるだけだと思います。ええ。
・・・・いや、あの、ちょっと夢見ただけです。弱いネウロと弥子もありかな、なんて・・・・てへ。

20080518