「匪口さん!」
聞き覚えのある明るい声に予想外な場所で呼び止められた。
警視庁捜査一課近くのたばこの臭いが染みついた薄汚い廊下。その少女は、女子高生なんて肩書きを持つだけでその場に置いて相当に浮いているというのに、その手に持った物の所為で輪をかけて場違いであった。
何を隠そう、風呂敷包みの十段近い重箱セット。
「・・・・・とりあえず、桂木、その重箱の数ありえないから」
まずは突っ込んでおくべきところだろう。
ポ ー ラ ・ ス タ ー を 拒 む 海
落ち着ける場所に移動がてら幾つかした質問に依ると。
曰く彼女がここにいるのは、とある立て篭もり犯の説得に協力し、その護送に付き添ってここまで来たからだそうだ。
その割に怪我ひとつない姿、疲労のまるで見えない様子から察するに、それは噂どおりの鮮やかさであったのだろうことは容易に想像がつく。
「でその重箱は、」
ラウンジに落ち着いての台詞に、気まずそうに一瞬目をそらしつつ。
「ほら、おなかが空くと人間苛立つじゃないですか。だから少しでも話を聞きやすくしようと思っていたんですけど」
「あ、うん。何となく予想はつくけどさ‥‥」
「‥‥‥はい。話があんまり長時間になると、お腹が空いて空いて私が正気を保てなくて‥‥‥」
あ、やっぱり。
許可を貰って見せてもらうと、驚くほど重箱の中身は綺麗に片付いていた。もしくは片付きすぎていた。恐らく一人で空にしたんだろうなぁ、とは、火を見るよりも明らかと言う奴だ。
「‥‥噂には聞いてたけど。大分ご活躍みたいだね、桂木」
「‥‥嫌味ですか」
「いやマジで」
ちょっとは嫌味だったけれど。まぁ噂になっているのは事実だ。
それに、半信半疑な眼差しを向けつつも、ゆっくりと彼女はかぶりを振る。
「まだまだ、ですよ。私、もっといろんなひとと話をしてみたいんです」
しっかりとした意思があった。迷いはない瞳は呆れるほどに真摯で貪欲だ。
それが誰の影響かなんて聞くのもばかばかしい。事情を知る彼だからこそ、誰よりもそれが分かる。胸に広がるぼんやりとしたもやは、不味いコーヒーで押し流すことができずにただ滞っている。
「‥‥‥2年、か。思ってたより早いね」
「そう、ですね」
「ねぇ桂木は、さ」
出来るだけゆっくり、言葉に乗せる。何度か目線をさまよわせ、意を決したように弥子の顔を捉えた。やけに口が重い。それでも尋ねる。
「今でも、あいつのこと待ってんの」
「‥‥‥」
黙って、コーヒーを口に運ぶ。
飲むことよりも、時間を持たせることを目的とした行動。けれど答える声はひどく明瞭に響く。
「たぶん、“はい”で“いいえ”、なんだと思います」
迷いはない。ためらいもない。ここにいない誰かを信じきった澄んだ瞳がきらきら揺れる。
「なにそれ」
「うーん、待っている、けれど、待ってない、のかな。
私は前に進んでいきたい。ここで立ち止まってちゃ、だめなんです。もっと先に。もっともっと
きっとあいつなら見つけられる。彼女のもとへ戻ってくるのだと、それは絶対にして絶大なる信頼。第三者の入る余地など、どこにもありはしない。いやそんなのことは当に知っていた、分かっていた。
今はただ、ひとえに思うのは。
「進みます。もっと変わる。それが、私の"待つ"こと」
かわりたい、と彼女は願う。最早願いでさえなくそれは彼女の中での決定事項。変わることのない指針。
それは、ひとえに、誰のため。
「帰ってくるかも、分からない相手を?」
「帰ってきますよ、絶対。だって、こんな御馳走に満ち溢れた世界、あいつがほっとくわけないじゃないですか」
苦し紛れに呟いた残酷な問いかけにも、臆することなどありはしない。
それは疑問をさしはさむことさえない確信。
お前はすごいね、と呟いた声は何色でもない。自分でも笑ってしまうくらいに乾いていた。
2年経った。少女は少女のまま。それでも元々強かった彼女は、もっと強くなってここにいる。強くなった。たくましくなった。
‥‥‥ああ、恐らく、最も俗に感想を要約するならば、ひどく綺麗になったのだ。
たぶん自分には、手が届かないくらい。
それも、誰のためだろう。
悔しいも悲しいも苦しいもなく。
道しるべに輝くひかりが眩く疎ましい。
みおろしたカップの中のどろどろ澱む黒い液体は、まるで、見たくもないこの心の中のようで、飲み干す気にもなれなかった。
それはどこか、星の映らない夜の海にも似ている。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ネウロ連載終了お疲れ様でした・・・・!!
ひとりネウロ祭り第一弾、はやっぱり片思いヒグ→ヤコ。かつ絶対のネウヤコ。
2009.04.22