3、下駄箱ラブレター (『京極堂』 榎木津×美由紀)
しっかりもののその少女が、いつになく上の空だということは、誰の目から見ても明らかであった。
落ち込んでいるとも悩んでいるとも少しばかり違う。
その証拠に、何度か何かを言いだそうとして、けれど断念し「きょ、今日は寒いですねっ」などと、当たり障りのない話題を出すのだ。ちなみに本日は晩秋ながらも9月の陽気で、どちらかと言えば暑い日だった。
‥‥美由紀ちゃん、どうかしたんですかね、と水を向けてもこの部屋の主は「知らんっ」と無駄に力強くばっさり切って捨ててきた。記憶が見えるならば、知るも知らんもないだろうに。と思わなくもなかったが、やたら機嫌の悪い榎木津を相手取ってそんなことを言う勇気も度胸も、或いは愚かさも、和寅は持ち合わせていなかった。
なんであんたが不機嫌なんですかい、とひっそり愚痴を心の中で吐き出して、そっと給湯室へと逃げ込んだ。
そして、そんな場面がしばし繰り返されたのち。
ついに意を決したらしい美由紀は、どこか悲壮感ただよう面をあげた。
「探偵さん、こんなこと相談するのも、どうかとは思ったんですが。えぇと、」
「‥‥なんだい。言ってみたまえ」
この僕が、聞いてあげよう!と相も変わらず根拠のない自信に裏打ちされた言葉。
しかしこの時ばかりは、それに後押しされるように、美由紀は口を開けたようだ。
「あの、‥‥同性から、こくはくされた場合、どうするのが一番良いのでしょうか」
え。と和寅は目をまたたいた。
一度切り出せば楽になったのか、うけることは出来ないけれど(この時ちらりと榎木津へ目を向けて即座に反らしたのを、和寅は確かに見た)相手の子を傷つけるのは本意ではない。しかし、嘘を吐くのも気が引ける。そう、堰を切ったように、語った。
恐らく誰にも話せなかったのだろう、幾分か張りつめていた気が、彼女から抜けた気がする。
‥‥ああ、そういえばこの子は女学校だったか。と思えば少しばかり合点がいった。彼女のような年齢の時分にしばしばみられる、同性への憧憬の混ざった思慕は、下世話な話だが耳にしなくもない。しかし、そういった類の話と、目の前のどこか清廉としてさっぱりとした少女が結びつかないような気もした。
ぼんやりそんなことを考えていると、探偵は「ああ、それで下駄箱か」と小さく呟いていた。何のことだろう、とは、それこそ考えても無駄だろう。
しばらく薄茶の瞳を眇めて、可憐な少女とその少し虚空を見つめること、幾ばく。
不意に、ふ、っと。子供じみた笑みを浮かべて、探偵は言った。
「いい答えを教えてあげようか、女学生君」
「は、はい。是非!!」
ぱしぱし少女がまばたきをする。
「いいかい、相手の子にこう言っておいで。『私は頭のてっぺんから足のつま先まで、神様のものです』って」
ほら、嘘じゃない。
にっこり、と邪気のない笑顔でそう言った。
「‥‥ああ、成程。それは、いいですね」
「え!?美由紀ちゃん、ホントにいいの!?」
「おいバカズトラ、なんだその言い分は」
「え、や、だって‥‥」
思わずうろたえる和寅に、探偵に聞こえないようにそっと、美由紀は小さく語りかけてきた。
「ほら、うち、曲がりなりにもキリスト教系の学校ですから。それで」
「‥‥いやあの人の言う神様って、」
「分かってますよ、勿論」
だからいいんです。
やけに自信に満ち満ちた言葉に、先ほどよりも眉間のしわが深くなる。意味分からない。
だって、と鮮やかに笑う。それは、探偵に対してまっすぐ微笑みかけている。
「嘘じゃないですし。向こうは納得してくれるでしょうし。いいかもしれないです」
さすが探偵さんですね。
そう、けろりと微笑む少女の横顔を眺めて。
(‥‥ああ、善良な、純朴な、女子学生が、毒され切ってしまった)
申し訳ない、と心の中で手を合わせるも、彼女の満足そうで楽しそうな笑顔は、その必要なんてないですよ、と言っているようだったので。呆れた溜息をつきながらもまぁこれで、丸く収まっているのかな。なんて、思うのだった。
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拍手logよん。みゆきちゃんは同性にもてたらいいなぁ、という願望を込めて。
20150204再録