「薫、さん」
昼の通りで名前を呼ばれて振り向けば。なんてことはない、会いたくて、会いたくて、夢にまで見た妹の姿だった。夢の中で何度爪をはいで手足をおり切り刻んで痛めつけて泣きわめかせて血に染め上げたことだろう。うん、良い夢だったなぁ。
ああ、そうじゃなかった。
それで可愛い可愛い妹は、何を思って"俺"に声をかけたのだろう。
黙って見つめていると、言い淀むように視線をさまよわせ、結局口から転がり出たのは。
「にい、さん?」
震える唇でためらいがちに紡がれたそれを聞くと、瞬間的に意識が白濁しそうなほど吐き気がした。「薫さん」という以前の滑稽な(笑いだしたいような!)最高におぞ気立つ呼び名には劣るけれど、ふつふつ煮立つ情念にはとても相性がいい。ありがとう、憎しみという名の炉に油を注いでくれて。おかげで今日も俺はたまらなくお前をぐちゃぐちゃにしてやりたい気持ちのままだよ。
ふ、っと。口元に浮かぶのは、そんな気持ちがなせる冷たい笑み。白い三日月のような弧を描く、やさしいやさしい微笑み。ゆるゆると首を横に振り続ける可愛い妹は、怯えたような眼差しをむけてくる。
ひどいなぁ千鶴。でも、俺は優しいから。そんなこと、今は無視しておいてあげる。
かわりにその腕を引いて、細い通路に押し込んだ。ぎりりと、締めた手首の細さにうっかり折ってしまおうか、なんて考えも浮かんだけれど、それはやめておく。今は。
だん、と壁際に叩きつけて、噎せるその顔をひきあげた。
ほんの幾ばく、下にあるしろい頬を手の平で包み込む。そこまでの所作と正反対の、優しい仕草で。そして、ともすれば唇が触れそうな距離で囁く、みつのようなささやき。
「俺のこと、思い出してくれたんだ」
「かおる、‥‥にいさ、ん」
「あぁ、そうだね。俺はお前のたったひとりの兄さんだ。千鶴?可愛い可愛い俺の千鶴?‥‥ねぇどうして?」
自分の口元にうかぶ笑みが歪にひきつるのがわかる。
悲しいね。お前と同じ顔なのに、こんなに醜い俺を、かわいそうだと思うだろ、千鶴。だって、お前は優しいもんな?優しくて、いい子だったもんなぁ?
だったらさ。
「どうして、」
「どうして、」
「どうして、オマエのなかの俺を消してしまったの?」
俺は、おまえなしじゃ生きてこられなかったのに。
まざまざと刻みつけられた千鶴という存在のすべて。愛して愛して、おれが愛していたのは後にも先にもお前だけ。父さんと母さんと、一族の皆を亡くした俺に、縋るものなんて他にないだろう?
なのに、
どうして、お前は。
どうしてお前は俺のことをそんなに簡単に手放した?
笑って居てもよかった。泣いていて欲しくはなかった。けれど無条件に信じていたんだ。愛していたから。お前も俺の存在を守り通してくれているって。
信じて、いた。
「ごめ、なさ‥‥、にい、さ、ん‥‥っ」
「だめだよ、千鶴。だぁめ」
「あ、」
至近距離ではらはら涙をこぼす妹は、ぞっとするほどに美しい。
同じ顔をしていても、きっと俺にはこんなかおは出来やしない。する気もない。
ほんの少しだけ頬にあった手をずらせば、そこにはほっそりとした白い頸。とくんとくんと脈打つ血潮。ひゅう、と緊張に千鶴の息が詰まる音がした。
「ダメに決まってるだろ?そんな簡単に出てくる謝罪の言葉で俺が満足すると思ってるの?」
おめでたいねぇ。
くすくすと艶っぽく咽喉をならせば、涙で濡れた瞳がただただ悲しそうにこちらを見つめる。「にいさん」と性懲りもなくほざく言葉を聞きたくなくて、頸にかけた指に力をこめればいとも容易くその顔は苦痛にそまった、のだ、けれど。目に映った悲しそうな色だけは変わらない。
俺を、憐れむの?
‥‥反吐がでる。
どうして。
どうして千鶴、どうしてどうして。
涙で滲む瞳にうつるのは、鬼の顔。虚ろに笑んだ、ただの鬼だ。
俺の千鶴。可愛い千鶴。
「こんなにも、お前が憎いよ」
愛しているとささやくのとそれは同義。
だから俺は、夢の中でさえお前を殺せない。
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かおる兄さん。何を隠そう薄桜鬼でいちにを争うくらいすき。千鶴に対して家族愛でも嗜虐愛でもらぶでもかまわないけれどともかく愛情と紙一重に千鶴を憎んでる彼がすき。
一応、今回はラブなつもり。
20101020