蝦夷の冬は本当に厳しい。
 建物の中にいても底冷える冷たさは、これまでのどこにいた時よりも辛い。さむい、なんて言葉は、まだまだかわいすぎる気がするくらいだ。
 どうしたって、この気候にはまだまだ慣れないなぁ、と窓の外を眺めながら、くしゅん、と小さなくしゃみをひとつ。ふあ、と間が抜けた声と顔を上げれば、ぽすんと何かが落ちてきて視界を覆った。

「え!え!?」
「ばぁか」
「ひ、ひじかたさんですか!?」

 うろたえたえる千鶴に落とされたのは、今度は耳慣れた低音の苦い声。
 がばり、となんとか顔を出せば、案の定役者のように整った顔に浮かぶのは苦笑。ただし、どこかやわらかい。ほう、と穏やかな温度のそれに見惚れる間に、くしゅん、とくしゃみがもうひとつこぼれた。

「ほら見ろ、こんなところにぼーっと突っ立ってるからだ。」
「ぼ、ぼーっとなんてしてないです!!い、今だって大島さんのお手伝いをですね‥‥っ」
「働き過ぎなんだよ、お前は。他の連中の仕事まで引き受けるからだ。ったく、お前は人のことにはいちいち小うるせぇくせに、自分のことには無頓着でいやがる」

 そう、苦々しくも、どこか愉快そうに呟くと、ふわり、と肩のあたりにひっかかっていたはおりを直した。先程視界を覆ったのはこれだったらしい。「あ、ありがとう、ございます」ともごもご言えば、ぽんぽん、と頭を撫でられた。

「土方君」

 そうしていると、廊下の向こうから声がかかる。
 最後に、ぽん、となだめるように頭を撫でて、彼は声をかけた相手に近づいていく。その背中を見つめ、ふと思った。いけない、土方さんだってご自分のことに無頓着じゃないですか、とくぎを刺すのを忘れていた、と。

 ずるいなぁ。というのは、きっと、こどもの意見だ。
 貴方が無理をしてでも頑張りたいことなら、わたしだって。少しでも役に立ちたいと、思うこと自体がきっと、わがままなんだろう。

「すまない、雪村君。こんなところで待たせてしまって」

 かつかつ、と廊下の向こうから近付く足音と、かけられた声では、っと我にかえった。
 いえ、だいじょうぶですよ、大島さん。と首を振ると、好青年を絵に描いたような彼は、無邪気に微笑んだ。

「でも、おかげでいいものが見れたよ」
「いいもの、ですか?」
「うん」

 書類で隠した彼の口元は、けれど隠しようもなく緩んでいる。そんなに面白いモノがあったのだろうか、と思って首を傾げれば意味ありげな含みのある視線が返ってきた。なんとなく、ぎくり、とする。

「いや、土方君は、ずいぶん君に入れ込んでいるんだな、と思ってね」
「‥‥はい?」
「だから、彼は、本当に君が好きなんだな、って」

 愉快そうに告げられた。意味が理解出来ずしばし硬直。手助けのように白い手袋に包まれた指先がさすのは、千鶴の肩にかけられた羽織である。つまり、それは。じわりじわりと理解が進むのと同時に、顔に朱がのぼるのは、羞恥なのか焦りなのか。

     っ、み、見てらっしゃったんですか!?」
「はは、ごめんごめん。お邪魔かなぁ、と思っていたら機会を逃して」
「お、大島さん!!」

 こちらの非難などまるで堪えもせず、ひとしきり楽しそうに笑ってくれる。
 た、確かにここは廊下で、非難する方が筋違いなんですけど、でも!!恥ずかしいというか、なんというか!!ぐるぐる渦巻く意味のない文句を並べ立てる千鶴に、彼は楽しそうに相槌を打つ。でもやはり、笑いながら、である。
 むくれた千鶴が黙り込み、概ね気の済んだらしい大島がようやくふぅと息をついて黙り込んだ。その、かすかな息にまざるような、静かな呟き。

「でも、安心したよ」
「‥‥なにがですか?」
「土方君がね、ああいう顔も、ちゃんと出来るようになってくれて」

 これでも心配していたんだ。
 そう、困ったように笑ってくれるかれは、本当に心を折ってくれていたのだろう。
 遠くを見るように細められた瞳は、それまでと違いひどく静かな色をしていた。

「いつも何かに追われているような、崖の上に佇んでいるような、そんな緊張感と危うさばかりが目について、      いつ、あの張りつめた糸が切れてしまうのかと」
「‥‥」
「歯がゆかったからなぁ、僕たちは、何もしてあげられない」
「それは違います」

 黙って耳を傾けていた千鶴は、きっぱり、とした口調でことばをさえぎる。そして、ふわりと微笑んだ。

「そういう状態でも土方さんがやってこられたのは、きっと、大島さんのような方がいてくださったからだと思います」

 その微笑みを眩しそうに見つめ、大島は「うん」とおおきく頷いた。
 ぽん、と千鶴の頭に置かれた手は、土方と違えど優しく。見上げた時にかちあった瞳は、見間違いでなければ少しだけかなしそうだった。

  「君がいてくれて良かったよ。ありがとう、雪村君」
「そ、そんな、私は‥‥」

 ふるふる、と首を左右にふる。
 目を瞑れば、まぶたの裏にいともやすく思い起こされる、崩おれそうな、あの、背中。多分あの日から、ずっと願ってきたこと。ずっと、ずっと。願い続けてきたから。今の自分の存在理由とも言える。
 それを、目の前の彼と、それから、ついさきほどのあのひとの柔らかな眼差しに後押しされて、おずおずと口にした。

「私は、あの人の支えになれていると、うぬぼれてもいいんでしょうか‥‥」

 あの背中に、寄り添えているのだろうか、と。
 それを聞いた大島は、しばし目を瞬いて。そして、今までの中で一番、優しい笑顔を浮かべて千鶴の肩に手を置いた。とん、とやわらかなそれは、確かな重みを持って。

「雪村君、そういうのはね、自惚れ、って言わないんだよ?だって、ほら」

 にこやかに微笑む目線を動かした先、そこにいたのはまごうことなく渦中の人物である。かつかつかつ、と高らかに靴のおとをならして不思議なほどに足早に近づいてくる。え、えっと?とうろたえている間にあれよあれよと眼前にいるその表情は、どことなく不機嫌だ。それが更に千鶴の混乱に拍車をかける。

「やぁ、土方君。どうかしたのかい?」

 にこにこ、と。千鶴と相反して常の態度の彼が、その、戦況だとか時世だとかそういうものに起因するわけではない土方の不機嫌さに、笑って対応するのはもちろん理由を理解した上。腹立たしそうにそれを見つめ、ついた息は大層ぶっきらぼうである。
 
「‥‥忘れもんだ」

 ほら行くぞ。
 そう声をかけて、当然のようにおろおろする千鶴の手首をとった。

「え、あの、でも土方さ‥‥」
「雪村君、こちらの仕事は概ね君のおかげで片付いたから、気にしないで」
「は、はい。大島さんすみません、失礼しま、‥‥わ、ひ、土方さん、早いです!」

 引っ張られながら振り返ると、ひどく満足そうな顔をした大島が千鶴に手を振っていた。
 その、あまりに嬉しそうな顔に毒気やら羞恥やら抜かれた千鶴は、そっと自分の腕をひく人を見上げた。不機嫌さの理由は千鶴には今ひとつ理解できていないけれど、なんとなく、だけれど、確信に近い予感で、それは悪いことではないような気がした。

 だから、勇気を出して、こっそり、掴まれた手首をずらして、手をつないでみたりする。
 ちらりと見下ろしたかおが驚いたような表情だったけれど、すぐにあわく笑みがうつる。

「お前にはかなわねぇなぁ、ほんと」

 つなぎ直されたてのひらと、ゆるめられた歩調の速さに、ああ、泣きそうだなぁ。と無性に思った。
 









そ こ は 指 定 席 。





















++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
 アニメに影響されたとても分かりやすい例ですね(笑顔
 アニメの土方さんのイケメン度半端ない。千鶴の可愛さはもっと半端ない。
   20101203