唄が、きこえた。


 優しく、やわらかく、おだやかな音色は染みいるように響く。
 上りかけた階段をゆるり見上げれば、まだまだもっと、上からそれは降りてくる。

(‥‥どこから聞こえる?)

 疑問に突き動かされ、我知らず足音を忍ばせ段を重ねて行けば、たどり着いたのは立ち入り禁止と書かれた屋上の扉。けれど、甘い歌声の発生元は、どう聞いてもその向こうだった。風紀委員と書かれた腕章をしている以上、見過ごせないゆゆしき事態、のような気がする。

 けれど、そんなことよりも。
 扉に手をかけた理由は、純粋な好奇心だったのだろう。

 かちゃり、と極力雑音を抑えて開いた扉の向こうには、まぶしい朱色が広がっていた。あかい、せかい。
 沈みゆく太陽の眩しさに気取られながら気付くのは、そのメロディが、どうやら子守唄であったらしいということだ。優しいような切ないような色に、その唄は良く合う、ような気がした。
 
 視線をさまよわせれば、すぐに見つかった。
 屋上の端に近いでっぱりにもたれかかる人影。さらりと風に、その黒髪が流される。こちらに背を向けていようとも、視認できるのが上半身だけだと言えども、決して見まがうことのない。予想していた‥‥否、期待、していなかったと言えば恐らく嘘になる。
 学校で唯一の女生徒の服をまとったその人物は、ただただ、やわらかな音色を紡ぎ続ける。

「‥‥雪村、か?」

 そう呟いて、直後に後悔した。
 はじかれたように彼女は顔をあげ、それまで口ずさんでいたメロディのかわりにさいとうせんぱい、と唖然としたこえで呟いたからだ。ああ、しまった。声をかけるべきでは、なかったと。

「ああああ、あの、わ、わた、その‥‥っ!!」

 夕陽の中でも分かるほどに顔を赤く染め上げてうろたえる声量は、不思議なほどに小さい。
 訝しく思い、傍へ寄ってみれば理由は自然と知れた。
 彼女の膝には、ふてぶてしい猫が寝ていたからだ。
 ‥‥ただしその猫は、少々可愛げのないサイズをしていて、もっと言えば、沖田総司とかいう名前をした斎藤のクラスメイトであったりもする。

 甘えるように彼女に体重を預けて眠るそれを見おろし、彼女に向ける眼差しには同情がおのずとこもった。愛情のねじ曲がった兄につけ、この幼馴染につけ、彼女のまわりには手のかかる人間が多いようだ。そういう人間に、好かれてしまう性質なのか。

「アンタも、苦労するな」
「‥‥お言葉、痛み入ります」

 困ったように笑うが、それでも沖田を見おろす顔は穏やかで。そして、同じくらいに彼女の膝で眠る沖田の表情も穏やかに凪いでいる。常からは決して想像すらも出来ないような空気は、きっと、彼女の前でしか見せないかお、のひとつなのだろう。
 さり気なく目を反らして千鶴を眺めると、はたと、目が合った。
 
「斎藤先輩は、どうして此方に?」
「風紀の見回りだ。間もなく下校の時刻だからな。‥‥あんたも、知らぬわけではないだろう?」

 首を傾けると、千鶴は気まずそうに眼を泳がせる。「そう、いえば、校内放送を聞いたような、気が‥‥」ともごもごしている。
 思わず、眉間にしわがよる。
 校内放送が流れたのは、もうずいぶんと前のことだ。少なくとも、その時分からこいつらは此処にいたということだ。

「‥‥いつからこうしているんだ」
「え、えぇと、その‥‥えへへ?」

 ‥‥頭が、いたい。
 総司、と思わず咎めるように出た低い声を、いいんですよと打ち消して少女は笑っている。

「沖田先輩、甘えかたがちょっと下手ですから。たまに素直に甘えられると、ついつい」
「そう、だろうか?」
「そうですよ。土方さんへの態度なんか、顕著だと思います」

       ああ確かに。
 あれは反発ではなくただの甘えだと、そう言う話。何となく理解できた。

 そう頷くと、「斎藤先輩のことも、沖田先輩は好きだと思いますよ?」と言われ、思わず盛大に眉をしかめてしまった。それは恐らく、土方先生へのそれとは違うのではないかと、思う。絞り出すように答えた言葉に、少女はころころと笑った。耳に、心地良い声だ。

「‥‥あんたの声は、落ちつくな」
「え?そ、そうしょうか?は、初めて言われました‥‥」
「そうか?あんたの子守唄、俺は、ずっと聞いていたいと思ったが」

 とたん、目に見えて柔らかそうな頬が、夕陽よりもあかくあかく染まった。
 聞いていたんですね、やっぱり。と消え入りそうな声。俯いた時に見えた首筋が無性に可愛らしく見えて、くつりと、笑みがおちた。

「わ、笑いました!?今!!」
「いや、気のせいだろう。それより、そんな大声を出していいのか?総司が起きるぞ」
「!!!!」

 慌てて総司の顔を覗き込む。案の定、ふるりと震えた瞼があわくひらかれ、迷子のように視線がさまよう。幾度か瞬いたあと、ようやく千鶴をとらえ、ふわり、安堵の色に染まった。
 それはまるで、斎藤のことなど視界にさえ入れず、ただただ千鶴だけを、見つめていた。
 そして、「ちづるちゃん」と呼ぶ声は、ははおやを呼ぶ子供の声のよう。

       おど、ろいた。
 とろりと蕩けそうな眼差しは、甘い声は、ただまどろむ故、なのかそれとも、少女に向けているから、なのか。判断がつかないほど。

「せ、先輩、ごめんなさい。わたし、起こしてしまいましたね‥‥?」

 ふるふる、と首を左右にふって彼は微笑むと「ねぇ、千鶴ちゃん、子守唄、もううたってくれないの?」と強請るように呟いた。きょとん、とした顔で沖田を見おろして、ちらりと斎藤を気にするように千鶴は目線をあげた。
 まだ夢うつつらしい沖田の閉じかけた視界に、幸か不幸か斎藤は入っていないらしい。聞こえないような小さな溜息をついた。「‥‥6時が、2度目の巡回だ。」釘をさして踵を返せば、背中に「ありがとうございます」という小さな声が届く。

 思わず振り返りかけた、けれど。それを抑えて足を進めた。
 そこは、居て良い空間では、ない。だから。
 ‥‥‥‥だから足早になった歩調には気付かぬふりをして、ばたんと閉めた屋上の扉。ああ、そう言えば、立ち入り禁止を咎めるのを忘れていた、なんてことを考える。どうでもいいことだ。



 子守唄が、きこえる。
 優しい、うた。優しい思いのこもった、こもりうた。

 耳をそばだてれば染み込む。
 ただひたむきに、たった一人にささげられる、心のこもった歌声は、だからこそじりりと胸を焦がして、甘い。







Sweeet Lullaby for you



















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 学園設定沖田×千鶴が好きです。前世が絡むともっと美味しいと思っている。
 っていうか、前世ありきではくおうきの現代モノだよね!えへ!
 ‥‥ところで、学園SLLで沖田さんのご両親はどうなってるのだろう。誰か教えてくれ‥‥orz
   20101129